毒にも薬にもならぬ

蝉がどこかで一匹鳴いた。早熟なやつめ。夏の暑さとも相まって毎年毎年五月蝿いと忌み嫌われ、時には害虫扱いさえされる蝉だが、この時期の独唱ともなれば途端に春のおわりと夏のはじまりを予感させる足音へと趣を変える。八十年生きる我々からしてみれば実に風流なものである。しかし十日そこらの寿命しか持たぬ蝉にとって、ひとりで鳴くということにどれだけの意味があるのだろう。彼らが感情を持ったら、とふと思う。そのとき、彼らは世界で最も実践哲学的な生物となるのではないか。
今月中にもう一度、雨が降らないかと期待している。さらさらこぼれる温い雨。どこか不穏当な心地さえする気まぐれな風や、低く重く被さる曇り空。傘を差して歩くにはこの上ないコンディションと言えよう。冬の雨は冷たく、かといって夏の雨は激しく打つので、この時期を逃せば次は秋口まで待たねばならない。その秋雨もすこし意地悪なところがあって、ややもすれば夏の勢いそのままであったり、風が冷たい速駆けであったりする。
だから今年もこの季節に、傘を差してゆったり散歩でもしておきたい次第なのだが、先延ばし先延ばしにしているうちに前述のとおり蝉が鳴いてしまった。もうあまり猶予は無い。じわりと滲むその声は、春を終わらせる強い力を、絶対に持っているのだ。