メーデーメーデー

水が切れました、繰り返す水が切れました。もう我が家に残っている水分といえば遥か実家から送られてきた蜜柑くらいです。小粒で甘くておいしい蜜柑ですが今この時に限ってはこいつらがふんだんに保有している水分を抽出して真水として冷蔵保存したい。べとべとした果汁なぞ見たくもない。その上こんな緊急事態に限って俺はたいへん乾いて、いや渇いてしまっている。腹の減りより喉の渇きのほうが堪えるなあと実感する。かくなるうえは結露でも舐めるしかないかもしれぬ。こんなことならもっと丹念に窓の掃除をしておけばよかった。俺の部屋はとにかく黴っぽい。菌類の王国とまではいかなくとも、共和国くらいのことはある。共和しているのは他ならぬ俺と黴である。俺がフローリングやその他居住区での生活を許容してもらっている代替に、壁や天井の隅それから窓のさん(桟、珊、鑽?)の辺りは軒並み彼らの支配下に入っている。これでは窓付近に生まれた結露を自らの水分として見込むことなど出来ない。いや、このような突飛な考え方ができているのもむしろまだまだ余裕がある証拠だ。俺は最悪水道をひねって出てくる水を補給することも出来なくはない。あまり清潔ではないのだが出来なくはない。それにわずか残った資金をこの際水代に回すことも出来なくはない。水などどこにでも大量に売っている。ただ俺がそれをしたくないということに過ぎない。選択するというのは良い事だ。みんながいつでもどこでもどんなものでも選べるというのではない。俺たちは選べるときに選べるものしか選べない。選択権は特権である。紛れもなく、我々は選択権に選ばれているのである。それなら俺はその特権を行使できるうちに利用しておきたい。こう思うのは驕りだろうか。