ゴスロリ褐色暴虐僕っババア

D.Gray-man』をちょっとずつ買い進めているところ。俺の場合は最後まで読みきる作品よりもむしろ途中で読むのをやめてしまう作品のほうが(特に漫画には)多くて、この漫画も初巻から七巻までしか本棚には無かったしこれから揃えるつもりもなかった。
ところが先日ふと読み返してみたらですね、この作品にもちゃんといるじゃないか、と。僕っ娘いるじゃんって。そうですロード・キャメロットちゃんです。すっかり失念していましたね。いやもっと正確を期すと、彼女の存在を認知してはいた。けれども「『ロード・キャメロットちゃん』という『僕っ娘』が『D.Gray-man』という漫画作品に登場して、しかも自分がそれを『途中までしか集めていない』」という要素要素がうまく結びつかなかったのかもしれない。多分、こういうことにも呼び名は付いてるんだろうなあ。「あれ、俺なにしようとしてたんだっけ?」みたいなシチュエーションと似てる気がする。整合性や或いは連続性、そういったふうに呼ばれるものの喪失──というと格好付けすぎかもしれないけれど。
こういうのって、いままでは結構見過ごしたりしてしまっていたんだ。「まあいいか、また思い出すだろ」と。これからはさも老後を迎えたかのように無為な時間を過ごせるので、こういった問題を真っ正直に追及できるわけです。時限爆弾付きということを度外視すれば、こんな生活はすこぶる悪くない。
ええと、というわけで、この物語は是非にでも最後まで見届けなくてはならないと思う所存。資金が保てばいいんだが。