通過列車のような人生

皮を取り除いた後ペースト状にしたかぼちゃに、生クリームとバターを蜂蜜を入れるとおいしい。生クリームとバターと蜂蜜にかぼちゃを入れる、くらいの勢いで突っ込むとすごくおいしい。というか、生クリームとバターと蜂蜜をまぜこんでおいしくないものなどあるはずがないのだ。健康を度外視すればこれほど手軽で美味なものも中々あるまい。


身体に精神由来とは別の全く独立した人格があったら、肉体は心を好きになるだろうか。
こんなことを考えるのは、かぼちゃをくり貫いているからに違いない。分厚いかぼちゃの皮は中身を愛していただろうか。わからない。また中身は庇護者たる外皮をどう思っていたろうか。わからない。わからないが、互いに無関心ということはなかったはずだ。こんなことを考えるのは、がらんどうになったかぼちゃの皮からジャック・オ・ランタンを連想するからに違いない。顔が付くと途端に人間味というか、生物味が増す。そうでなくとも、植物が感情に敏感に反応するというのはよく耳にする話である。そして少なくとも我々のばあい、感情に反応出来る器官は感情なのである。

十月になった。そんなはずはない。