こんにゃく枕っていうのもありだと思うな

ネットでもまたリアルでも、ここ数日まともな文章ばかり書いているように思う。まるでWikipediaの編集者にでもなった気分である。
見返してみると、九月は僕っ娘関連の書き物が殆ど無かった。声を大にして言いたい、これは大変なことだ。大きな変と書いて大変だ。まるでブロガーにでもなった気分である。

たまにはまじめなことを書こうといつも思ってしまうのが悪い。どうせ書くならまじめなことの方が良いという偏見がいけない。でも、まじめなことを書くとなんとなく満足出来るのも確かだ。このばあい本質がまじめかどうかは全く関係ない。一見まじめなものは自分が賢くなったような気になれる、ということをここでは言っている。オーギルフレームでライフル持つとあたかも自分が上級プレイヤーであるかのような錯覚を覚えるが、要するにそういうことだ。ちなみに俺はオーギル脚が大好きです。足首から膝上にかけての、あのツルンとした装甲が堪らない。

なんの話だったか。そうまじめな話の話だった。すると俺は語ることについて語っていたのか。馬鹿か。語ることについて語る時には語ることについて語ることについて語らなければならない。語ることについて語ることについて語る時には語ることについて語ることについて語ることについて語らなければならない。あまりに面倒くさい。だから省略する。あまりに面倒くさいことは省略してもいいことになっているはずである。ECCCCCCMもECCCCCCCCCCCCCCMもまとめてECCMと呼ぶことにしたやつは偉いと思う。
何の話だったか。遡ると俺は「ネットでもまたリアルでも」と書いていた。ネットとリアルをあたかも対義語か何かのように扱っているが、はて、これはこれでいいのか? ネットとリアルはむしろ類義語ではないのか。ネットの類義語はフィクションだなどという奴は脳ミソがこんにゃくで出来てる輩である。味噌田楽ばかり食べているからそうなる。ネットを身近に感じていれば、まず、そうはならない。味噌が跳ねると電子機器は駄目になるからである。つまり味噌田楽ばかり食べているやつはパソコンに疎い。これが論理学です、みなさん。