二十一/同じ混ざり色でも黄色とは訳が違う

今日の出費
食費 なし
雑費 なし
合計 〇円

帰り道。嵐の後。夕空。その一部、青空と茜空の交わるところが、淡い淡いむらさきに染まっていた。薄紫にほんのすこうし蒼を差したような、実に然り気無い色合いであった。この色を勝手に紫苑色と名付ける。『紫苑物語』の装丁の味とよく似ていたから。
古代より日本人にとって紫は特別な色であったらしい。なにしろ貴重である。貴重だから、偉いひとしか身に付けられない。偉いひとしか身に付けられないから、いつしか紫自体が偉さの一つの目印となり──そういう順序だろうが、まずそもそもの問題として、たとえ貴重だからとは言い条、彼らとて嫌いな色を身に付けたがるだろうか。なにも紫だけが希少だったわけでもあるまい。紫は何千年のむかしから、日本人にとって純粋に美しい色だったのだ。
こんな想像をする。
古代人の朝は早い。太陽の昇りきらぬうちからその一日は始まる。夜の足跡をまばらに残す朝ぼらけの空を背に、ある者は経典を読みある者は先祖に拝みある者は食事を摂り、ある者は去りある者は見送り又ある者は昨夜の枕を反芻する。起き抜け早々にでかい欠伸を飛ばす奴、寝坊だなんだと慌てる奴、貴族の中には二度寝を決め込む輩もいたかも知れない。ともかく彼らの一日はそうして始まる。頭の上の方で鳥が鳴いていて、見上げてみればぼんやりした薄紫の空が広がっている。燕は高く高くを舞っている。
やがて夕暮れがやってくる。すべての者へ満遍なくそれはやってくる。ある者は汗を拭き農具をかたし、ある者は待ってましたと言わんばかりに定時帰宅、ある者は早くも酒瓶の蓋を開け又ある者は今宵の情事に思いを馳せる。今日も稼ぎがなかったとヤケクソになる不幸な人もいたかも知れない。ともかく誰もが往々それぞれのやり方でそれぞれの帰路につく。沈もうとする夕日の眩しさにふと視線を反らした彼らが見るのは、来るべき闇の気配をぷんぷんさせたやはり紫の空である。あちこちの家から良い匂いがしてくる。どこかで烏が啼いている。そんなとり
とめのない想像をする。
たとえば平安時代の人間の価値観は日記や芸術といった形で少なからず現代に伝わっているけれども、その多くは上流から低くとも中流階級の人間の価値観である。その中流といっても下位貴族だったり豪商だったりとするわけで、割合からしてみれば全体の一割二割といったところではあるまいか。であるなら我々が古代人の価値観だと思っているものは実は古代貴族の価値観だということになる。今の我々に、少なくとも然るべき情報を閲覧出来る立場になくその努力もしない怠惰で凡俗な一般市民に過ぎないこの俺に、古代貧民すなわち多数派すなわち我々の先祖の価値観を伺い知ることは出来ない。
しかし権力やそれに纏わる闘争さらには崇め奉っていたそのものからすら遠く離れていた大半の人間にとっても、紫という色は特別な、限りなく素朴な意味で特別な色だったのではないかと願望半分直感半分に思う。それなら俺が今日あの紫苑色を見てほっと一息ついた、その感覚にも納得がいく気がするのだ。よく晴れた空が嫌いな日本人は、きっと少ない。