高度に発達したエンドロールは感動の終幕と区別がつかない

僕っ娘フリークの僕っ娘フリークによる僕っ娘フリークのためのブログにするはずが、今や完全に普通の日記帳である。一堕落人に過ぎぬ俺の日常にかくも多くの出来事があったとは……。

今年も春アニメの季節がやってくる。なにもアニメに限った話ではないが、キャラクターの印象は台詞や声色といったキャラクター自身に与えられた要素の他、作品自体の出来にも大きく左右される。今期はどんなアニメに、何人の僕っ娘が登場するのか。それは定かでないが、該当する全ての作品が相応しい結末へ辿り着くことを願う。

もうひとつ、時流に乗って先日アニメ版が幕を下ろした『放浪息子』の話でも。
同じくノイタミナ枠である『フラクタル』の後で鑑賞した。フラクタルの方ははっきり言ってカツカツだったが、こちらは極めて美しい最終回だったと思う。特にエンドロール。
個人的な印象として、『放浪息子』の三十分は長い。エンディングテーマが流れて「やっと終わりか」と呟いた経験が幾度となくある。俺のような初心者が今更言うことでもないだろうが、これは一重に作中の所々を埋める「間」の仕業だろう。小説においては「行間」と呼ばれる存在である。アニメ『放浪息子』は必要以上に(もしかしたら必要な分さえ)動かさないし、描かない。そしてそれによって三十分という限られた時間を可能な限り引き延ばし或いは切り刻み、結果として為すべき全ての表現を余すことなく果たしたものだと俺は考える。作品に流れる雰囲気と調和した、巧みで丁寧なつくりと言えよう。そういった意味でもあのエンドロールは、このアニメが何より重んじ続けてきた(であろう)「間」の集大成と呼ぶべき、実に価値あるものだった。高く評価したい。