エロゲ、この不可思議なるもの

ビデオゲームに関しては幼少の頃より家族同然の付き合いをしてきたつもりだが、幸か不幸かPCゲーム──特にエロゲーのプレイ歴が皆無に等しい。聞けば著名な僕っ娘も数多いというのでやがては調査せねばならないだろうが、アングラだのB級揃いだのというネガティブな(そして多分時代遅れで見当違いな)イメージばかりが先行して、今一歩を踏み出せずにいる。あの桃色空間に入り込む自分の姿が想像だにできないのも理由のひとつである。さらに言うと、出回っている作品数がなまじ多い割に値段が高いというのもある。

それにしても不思議で仕方がないのは、エロゲーの中でも「抜きゲー」やら「泣きゲー」やらといくつかの派閥が存在(対立?)するらしい点だ。いや、抜きゲーは分かる。要するにそういうことだろ? 十八歳以上限定の称号に相応しい、一種開き直りとさえ感じられる其の堂々たる風体に俺は喝采を惜しまない。疑問の尽きないのは泣きゲーである。
そもそも泣きゲーという呼び方自体「泣くことが作品鑑賞における到達点」と言われている気がして腹が立つ、というのはさておいて──何故ただでさえある意味専門的な十八禁という分野においてわざわざストーリー性で以て戦おうとするのか、そこが理解に苦しむ。ストーリー性とは論理性ではないか。理性と性欲は決して近しいものではないと、我々は経験として解りきっているはずである。レストランに柑橘系の香りが焚かれているかのような、この違和感。じゃあそんなにテキストに自信があるのかと一迅社文庫辺りを読み漁ってみても、どうもパッとしない(西村悠を拾ってくれたことには感謝している)。
もちろんストーリー性そのものや雑多な作り自体を否定したいのではない。ただ要するに「性欲は抱き合わせるには尖りすぎてるから、エロをやりたいわけじゃないなら別ジャンルに行ったら?」ということであって。複数の要素を含有しながら、それらがあまり喧嘩していないゲームは存外あるものである。パワポケなどはその筆頭株と言えよう。
もうひとつ。どうも泣きゲー支持派は抜きゲーを卑下しているように見えるのだが、これもまた不可思議である。選んでプレイするのがそんなに上等かね? と、外野としては思わざるを得ない。まあSRPG界におけるTBS信奉者とRTS信奉者のようなものか。