時間と、空間との戦いにおいては

TSUTAYAへアニメを返却しがてら、兼ねてより調査の必要を感じていた京極夏彦魍魎の匣』を購入。ついでに『姑獲鳥の夏』も購入。その後、せっかくだからと久しぶりにラノベ棚へ足を向ける。思えば二〇〇八年春を境に、ここへ来ることもめっきり減った。ラノタを気取って電撃の新人を軒並み買い漁り途方に暮れたのも、今では遠く懐かしい。

それにしても毎度思うのだが、ライトノベルコーナーはどうにも無駄が多すぎる。メディアミックスは大変結構なことだが、当然されるものよりされないものの方が多い訳で、せめてその比重はイーブンくらいにしてほしいものである。
かなり杜撰な見積もりだが、ラノベの新刊は月平均で八十冊程度は発行されていると考えられる。俺はつまらない本は好きではないが、それでもろくすっぽ書店にさえ並ばない本のことを思うと寂しさを禁じ得ない。これまでもそしてこれからも、無限か果てしなく有限にたゆたう時間とアイディアを機関部に、作者をペダルとハンドルに、読者の需要をメーターにして、物語は供給され続ける。この流れが生み出すエネルギーに対し、書店に与えられたスペースは極めて窮屈である。限定的である。にも関わらず、五巻十巻二十巻続く本を端から端までずらりと並べるのは少々乱暴に過ぎないか。「こちらのシリーズの一巻と最新巻以外に関しては係員にお訊ねください」として空いたところに要望欄を設けるとか、せめて中堅や隠れた名作を詰め込むのでは駄目なのか。このままではやがてメディアミックス作品しか置かれなくなってしまう
のではないか。そしてゆくゆくは業界そのものが縮退してしまうのではないか。なぜ萬屋直人は新巻を発表しないのか。なぜ西村悠は短編連作を書かないのか。なぜサマー/タイム/トラベラーの一巻だけが無いのか──
そんなことを憂いつつ、結局俺は『夏』と『匣』だけを手にそそくさとレジへ向かったのだった。説得力も糞も無い。