少し前の話になるが、『屋上姫』の三巻を買った。読むのがつらい。なにより主人公・黛の鈍感さがつらい。ノブが悪鬼とならないか、これだけが今心配です。
とくにサブカルチャー作品において主人公がおおいに鈍感であるのは今更言及するまでもないが、これはご都合主義的な鈍感さである。だからその精神構造については仕方が無いと割り切るべきところなのだけれども、やはりこうした主人公は「好きなキャラクター」に連ねることができない。鈍感さとは想像力が欠如していることの表れだ。そして想像力の欠如とは無関心さの表れだ。無関心な人間に関心を持つのは難しいというか、むなしい。
自らが無関心であることに気づくのは、無関心である故に難しい。よってこうしたキャラクターが中心に据わった物語は滑り出しこそ軽快なものの、最終的にはこじれる。しばしば長期化し、マンネリ化する。つまり、つまらなくなる。鈍感系主人公がくそったれな要因は概ねこのようなところではないかと思う。なお『屋上姫』については源条信忠が気づかせる者として役割の持てる位置にいるので、あまり心配していない。