千田裕生「教養が邪魔をする」

『僕はかぐや姫』をはじめに読了してから二週間ほどが過ぎている。この間に様々な出来事が連続して起こった。人生において有益で必要とされていることは全て放棄した。もう後はないと思う。前進するつもりがそもそも無かったのではないかとすら感じる。

僕っ娘の一人でありまた主人公に見えもする千田裕生について語ることはできない。この作品を読めば彼女たちについてのことはすべて載っているし、この編にまっとうな解説を与えるのは俺には難しすぎる。
ただ読後の印象を少し述べれば、二十年という時間は物語の熟成期間としてはほどよい分量だったな、と。
私小説と呼びたくなるような様相。同時に、全編を通して虚構臭いというか、いかにも「らしい」登場人物であり、舞台設定であり、台詞回しである。ひとりよがりで内面的で、それからエンターテイメントとして見れば中途半端。だからそんな小説を楽しめない人間には勧めたくない。
二十年前に読めばこんな読後感は沸いていなかったかもしれない。或いは抑圧された女子の本音に肉薄する出来として映っただろう。しかし現代においてはそれら全てがいかにもうそくさく、かといって二十世紀末という世界観は、実感していたか伝聞に過ぎぬかの違いこそあれ、理解を諦めるまでもない。掌握こそできないが身を委ねるほどでもないというこの絶妙な時差が作中での虚構と実在の境をあやふやにし、ほろ酔いするような揺れる世界へと物語を変えているように思う。この均衡は、きっと長くは続かない。読むのなら、今でなくては。