下僕の僕は僕っ娘の僕

漫画を一シリーズ、それから何故か欠けていたサマー/タイム/トラベラーの初巻と同じく新城カズマの新書、あとはメディアワークス文庫から気になっていたものをひとつ購入する。MF文庫からも一冊タイトル買い、なんの巡り合わせか僕っ娘が登場した。いよいよ嗅覚がするどくなってきたのかもしれない。何にせよ拾い物である。


相手の目を見て話すことが出来ない。というかそれ以前に俺がまともに会話出来るのは、三親等以内か金銭が絡んだ関係にある間柄に限る。例外として業務連絡時には寧ろ相手を凝視することさえ可能だが──これは俺の物心ついた頃からの性質で、俺が正か負かで言えば負の歴史を歩んできたのはこの弱点に拠るところが大きいと思っている。
これまでも人見知りやら自意識過剰やらという言葉でこの性質について納得しようとしてみたものの、どうもしっくりと来なかった。が、今日はなかなか合点の行く仮定に辿り着けたので書き置いておきたい。
つまり、俺は相対する全ての人間をすべからく好きになっているのではないか。要するに老若男女や美醜国籍を問わず、理由無き一目惚れを乱発しているのである。だから目線を合わせられないし、しゃべってると緊張してくるし、なんだかほんのり上気さえする。
俺は形から入るタイプの人間なので、この性癖に新たな呼び名を考えてみた。超ホモ理論、拡大博愛主義、片道ジゴロ、他意識過剰。どれもしっくりこないというか、気付けば駄洒落になっているのが解せない。せっかくなのだしもっとポジティブな名称を捻り出したいところだが。