飛び降り専用ホーム

虚構世界はしばしば二次元という呼び方をされる。考えてみれば面白いもので、確かに四次元や第三世界とかいう風ではどうも座りが悪い。虚構=二次元という呼称は俺にはぴったりいくよう感じられる。昨今の3Dブームを冷めた目で俯瞰してしまうのは、たぶんこの辺りの心理が働いている。
物理学や数学、あるいは科学的見地からして『次元』のこうした用法が相応なものかどうかとか、時間軸だの十六次元だのというのはさておいて、こちらの世界をひとまず基準として“三次元”と定めたときに、向こう側をそこから一つ差し引いた次元つまり“二次元”とする、この感性はすばらしいと思うのだ。
虚構世界は最適解の一つの提示である。たった唯一フィクションがリアルに劣っているところを挙げるとするならば、虚構は徒歩も無く実存のために存在するというこの一点(これもそのうち崩れ去るであろう。つまり『フィクション』の急激な進化もとい軽量化と複雑化と大衆化によって、彼我の力関係は均衡しつつある)だった。三次にあって二次にないものなど高が知れている。であるにも関わらず“二次元”という俗称がしっくり来る不思議。最初の発言者には喝采を。
ところでフィクションやリアルというのは使用者の存在次元を基準とした言葉であるので、たとえば「三次元(或いは四次元、十六次元、二十八次元)世界はリアルなのか。そもリアルとはなんなのか」といった問いかけは無意味であるように思う。四次元世界人にとって我々はフィクションであろうし、二次元世界人にとって一次元世界はフィクションであろう。そして三次元世界が四次元世界を理解しないように、リアルはオーバーリアルを許容しない。
さらに話が転がるが、俺は二次元に行きたい。よって真剣に考えるのだが、二次元行きの列車に辿り着く最も簡単な方法は三次元世界にいる四次元世界人を見つけだすことではあるまいか。情報提供お待ちしてます。


昨日の出費
食費
パン類三種(カルツォーネと何かと何か) 五〇〇円
雑費 なし

今日の出費
食費 なし
雑費 なし

合計 五〇〇円

眠気のせいか、飽きのせいか、終わってみればとりとめのない、まとまりのない、いかにも日記然とした日記となった。大変満足している。