五十六・五十七/名作にルビなし……とも言い切れぬが/ぼくは竹井醇子ちゃん!

昨日の出費
食費
おーい、お茶 まろやか500 一四七円
ポッキー つぶつぶいちご 一五〇円
雑費
にんげん『ストライクウィッチーズ零 1937扶桑海事変』角川コミックス 五八〇円
太田優姫イヴの時間2』ヤングガンガンコミックス 五三三円
合計 一四一〇円

今日の出費
食費 おーい、お茶 まろやか500 一四七円
雑費 なし
合計 一四七円


なんか今年は過ごしやすいなあと思っていたら八月が始まろうとしていた。今月新たに摂取した僕っ娘は白鬼院凛々蝶くらい。画数だけで見たら大漁なのだがね。
ユニークな名前の僕っ娘が多いのは、僕っ娘が“そういう”作品に向いてるからだろう。紫苑寺有子、病院坂黒猫、朝比奈ななな(漢字わすれた)、雛・イングリット・アデナウアー、その他大勢。
一人称「ぼく」は、時として、彼女たちへ異端性を手軽かつ端的に与える。
しかし少し註を書き加えるなら、これも一長一短である。一人称以外の部分でキャラに色を付けた方が当然厚みは増す。キャラクターの造形とストーリーの出来は相互に関係し、作品の質へと繋がる。はっきり言ってしまえば「単なる」“ボクっ娘アウトローキャラ”はキャラクターとしては二流三流に留まらざるを得ず、描写や台詞を与えれば与えるほどボロが出やすい。ゆくゆくは作品に軽薄な印象を持たせる一因となるだろう。だから主役には向かない。
話が逸れた。で、その異端性と厨二病と名前の画数をグロッギーな認識理解のままミキサーにかけて出来上がるのが“名前読めない系ボクっ娘”ではないかと。これはまあ推論である。なにしろ俺は表現する側に立ったことがないので全て推考で書くしかない。
もちろん全ての奇怪名キャラが軽薄とは思わない。特に上の方に挙げた僕っ娘なんかはいずれもそれなり以上に気にいっているキャラクターであり、文旨とはあまり関係がないことを書き記しておこう。
面白くない作品は面白くないキャラクターから。逆に紙面が属性に囚われない、表現者の感性に拠るキャラクターで彩られたならば、人はそれを“魂の籠った作品”と呼ぶ。


発売日から少し経ってしまったが『ストライクウィッチーズ零』を購入。にんげんのことは同作アラカルトで知ったのだが相変わらず安心のクオリティ。加藤武子少尉と江藤中佐がやや判別しにくい箇所が三ヶ所ほどあったが、中佐は基本的に登場シーン少ないということが分かってからは大分読みやすくなった。
見所は竹井さちゃんのちっぱい(第五話)、加東“垂れ乳”圭子少尉の名人芸(第三話)、そして第〇話扶桑海の閃光。漫画の次回予告にあるまじき凄まじい引力を感じる。本誌のバックナンバー、集めようかな。