九十/屋上姫/年中無休祝い事

昨日の出費
食費 なし
雑費
TOBI『屋上姫 2』(フレックスコミックス) 五七一円
コミックLO十月号 六九〇円
合計 一二八一円



気づけばLOなど買っていた。悪名高きLOである。表紙だけは清く正しく慎ましいLOである。
我がことながら少々驚いていて、何しろいわゆるR指定雑誌を購入するのは初めてであったにも関わらず、まるで十年来の習慣であるかのように自然な動作でレジに進むことが出来た。これが雄の本能に刷り込まれた動きだというのか。買ってしまったものは仕方ないので、そう、一先ず隠し場所を考えねばなるまい。巧妙で保存に適し、かつ取り出し易い隠し場所を。結構な難題であるはずだが、わくわくしている自分がいるのは何ゆえ。


LOのことは置いておいて、『屋上姫』のお話。相変わらず扉絵(この呼び方で合っているのか自信がない。表紙をめくってすぐに現れる、デザインを損なわない程度に書籍情報の記載されたカラーイラスト)は破滅的にうつくしい。
専門的な観点からいってどうなるかは知りもしないが、少なくとも俺が、このような一枚絵で最も重視するのはシチュエーションである。瞬間としてのうつくしさはその瞬間だけでは生まれ難い。描写されていない過去から未来にかけての(勝手で、しかし自由な)連続性の面影がキャンパスを靄のように匂わせているイラストこそが上等だと俺は信じる。そういった意味でうつくしい。詩的だと言い換えてもいい。どうして実際に見たことはおろか懸想したことすらなかった「水浸しの屋上」にノスタルジアを喚起させられるのだろう。『ぼくらのよあけ』にもあったけれど。
二巻では幼なじみが屋上に進入し、何も知らない道化役のまま霞上澄花と親交を深めていく。お前が好きだ、伊集院結子。思えば彼女は入学初日に屋上姫に助けられているのだ。なんというストーリーメイカー。出会いを演出し、屋上姫に気付きと融解の兆しをもたらし、そしていま物語は彼女を支点に加速を始めようとしている。まるで円滑油である。なんというストーリーメイカー。しかして兄様とはなんだったのか。
──と、進みはしたがその展開速度は遅々としていて、屋上は相変わらず時が止まっているかのよう。これをプラスと見るかマイナスと見るかは好みの次第で意見が分かれるところだろう。物語の雰囲気に合った丁寧な織り方だと言えばそうも思えるし、予定調和と焦らしを重ねただけの意地の悪いトートロジーだと言えばそんな気もする。主人公が鈍感な作品の宿命といったところだ。
長く続けばそれだけ屋上のコマが拝めるということだし、外界から切り取られた“屋上”と先述の「時が止まっている」属性は大変相性が良い様に思うので、個人的には肯定的に捉えたい。


キャラクターの誕生日を祝う、という行為にどれだけの意味があるのだろう。ストライクウィッチーズなどその内毎日が誕生祭になってしまう。そのたびに費やされる労力は一体どこへ向かって何を生み出すのか。
非生産的であることは今更どうでも良いとしても、キャラクターの誕生日が意味するところは何ぞや。彼我次元の時間の流れは当然不等であるべきだし、そもそも俺は彼または彼女に歳を取ってもらいたくなどない。でも何もしないとそれはそれで置いてきぼりを食らったような気がするから、ついついこんなことを呟いてしまうのである。
過八月二十九日は菊地真くんのお誕生日でしたね。おめでとうございました。今年はうっかり『菊池』にしないように気を付けます。