七十八・七十九/夏は埋葬されている

両日の出費
食費 なし
雑費 なし
合計 〇円
何しろ外出していない。Amazon禁止の戒は依然として守られている。どこで金を使うというのか。


そう言えば、今月の目標は「『ぼくはかぐや姫』を手に入れる」ではなかったか。すっかり忘れていた。気づけば八月はもう三分の二を終えようとしている。全くの門外漢だが、軍隊では三分の一の構成員が喪失した隊は全滅したとして扱うと聞く。六割が失われた今月など、もはやスクラップである。ジャンクである。さらに言うと今年は既に六割が失われた。もう、まるで使い物にならないではないか。早く来年を始めたい。

話は変わって。門外漢だが〜などと俺は言った。あたかも我が内にプロフェッショナルな部門が存在するかのような口振りだが、では貴様の本領は何処にか。いままであまり気にしたことがなかったが、俺が今更「門外漢だが」「素人だが」と断る必要はあるのだろうか。俺は誰に向かって言い訳しているのだ?
ところで、一等誇れるものがないという事実は結構ココロに来る。じわじわ来る。なにしろ病気で数日寝込んでも全く支障ないような日常生活を送っているのだ。いっそ仙人になりてえ。
逆に考える。門外漢。門とは中と外を区別するためのものである。全てにおいて埒外ということは、俺は全ての外にいるということである。つまりそれは世界の外であり宇宙の外であり、ことによると宇宙の外の外であるかもしれない。
ふと、ECMとECCMについて思い出した。ECMをさらに打ち消す機構をECCMと呼ぶが、ECCMを打ち消す機構をECCCMと呼ぶことはない。この呼称方式は便宜上のものかもしれぬが、直感的に大変すんなりと納得できた気がする。宇宙の外の外という概念とECCMという言葉とは、よく似ている。