七十三・七十四・七十五/魘されて藍蘭島

一昨日・昨日・本日の出費
食費 なし
雑費 なし
合計 〇円


珍しく体調を崩す。カロリーメイトが切れたのがいけなかった。少し栄養の補給を怠りすぎた。
割れるように頭が痛いけど、こういうときくらいしか家族は優しくしてくれないので何とか愛想笑いで応えてみる。飛び出すくらい目が熱いけど、こういうときくらいしか本を読めないので何とか積本を消化していく。
それで感想なのだが、とある飛空士シリーズはあんまり好きではない。『追憶』とどうしても比べてしまって、そうしてみるとどうにも印象が悪くなるというか。一作目のクオリティを維持するのは困難だろうけど、それなら別の作品をやればいいのにと思う。まだ同じ作品をやりたいのなら、それは一作目同等の空気を持つものになるよう努力しなければならない。描く本質のようなもの(人はそれをテーマと呼ぶ時もある。呼ばない時もある。この場合も、たぶんそうとは呼ばない。けど近いものだ)、余り大層なことは言えないのだけど、それが散るようではいけない。作品は時として人の心を揺り動かすが、それはいくつもの場面が共振し、レンズをいくつも重ねて物を視るようにして、読み手をその世界により深く没入させるからだろう。
長い作品が名作と呼ばれ易いのは、場面の数から共振が導かれ易いということでしかない。そして場面場面が互いに振れ合うのには、同じ性質を帯びていなければならないのだ。小ネタや伏線と呼ばれるものもこの一種だが、それらは規模的にやはり補助装置の域を出ない。
雰囲気。属性。本質。テーマ。ぼんやりとして便利な言葉だが、こう表すのが一番手っ取り早いんだ。こういったものを徹底して通底させないと、いくらやっても感動的な長編作品とは成りがたい。エンターテイメント作品に御大層なテーマ性なんて、と言う人もいるかも知れないが、テーマ性という語はそんなにむつかしいことじゃない。そこら中に転がっている。