四十九・五十/知らない世界を語る言葉は

昨日の出費
食費 なし
雑費 なし
合計 〇円

今日の出費
食費
おーい、お茶 まろやか500 一四七円
雑費
安倍吉俊リューシカ・リューシカ』1、2 一三八〇
藤原ここあ妖狐×僕SS』 四二〇円
合計 一九四七円


作家の“語彙力”を考えたとき、日本文壇のそれは全盛期と比較してあからさまに低下している。そのピークはやはり近代、つまるところ夏目漱石森鴎外、芥川といったいわゆる『文豪』時代だと定義したい。
一方で市井の日常生活における我々のボキャブラリーは、これは推測に過ぎないが、むしろ増えているように思う。近代から現代にかけて我が国には多くの言葉が流入し、また同時に多くの言葉が忘却された。
民衆がそれら新語を好んで用いだしたのに対し、文学は頑なにその受け入れを拒否した。カタカナ語や今風な言い回しをライトな言葉とし暗黙のうちに迫害してきた純文学界の現状はご覧の通りだ。謂わば作家(人)と作品(文学)の共通語の減少が、今の有り様の要因だろう。言葉は世界である。願わくは、ついに文学が語るための言葉を失わないことを。

こんなことを書いたのは『リューシカ・リューシカ』を読んで、「では漫画家にとって“語彙”に相当するものは何か」と考えたくなったから。なのだが、『妖狐×僕SS』を消化したら荒ぶっていた気持ちがすっかり萎えてしまった。ちょっともう、これどうすんだよ誰か引き取りに来いよ……