僕僕「大丈夫だよ。ボク達はまだまだこれからなんだから」

そういえば乙一中田永一みたいな噂が数年前に流れていたが結局真相はどうだったのだろう、と『箱庭図書館』を探しつつ思った。
作家の中で一人のひととして好きな者はいるかと聞かれれば、乙一が好きだと俺はそう答える。俺が彼の作品を買うときは読みたいから買うのではなく、金を流したいから買うのである。まさか、これが、恋……?

■今日の僕っ娘
仁木英之『僕僕先生』より僕僕
中国光州は楽安県黄土山に庵を構える黒髪ロングの仙人ボクっ娘。一言で表せば、BLACK MATRIX OOの臥天使テリオス・セントギルダをすこぅし丸くして仙人にジョブチェンジさせたみたいな感じである。もう幾らかメジャーなキャラで例えたいとも思ったが今一つ至らなかった。精進が足りない。
それにしても僕っ娘には実力者が多い気がする。希代の魔導士アルル・ナジャにはじまって、ニート探偵紫苑寺有子、撲殺天使三塚井ドクロ、DQ?のアリーナ姫もノベライズでは僕っ娘だった。五の二の頂点平川ナツミ、天才科学者寒凪乃絵留、癒す者ことイエロー・デ・トキワグローブ。そしてこの僕僕先生である。僕っ娘界隈に何か見えない力が働きかけているとしか思えない。
彼女は仙人、いわゆる仙人だ。七色の雲に乗り数々の摩訶不思議な仙術を用い昼間から大酒を浴びる。時間を越え空間を跨ぎ神々と会話する。お茶目な辺りもポイント高いです。
しかしまあ、それ以上に僕僕先生は俗っぽい。同業者中ではおそらく亀仙人に次ぐ俗っぽさであろう。むくれてみたり怒ってみたりおちょくってみたり。然るべき箇所のみ抽出すれば見かけ相応の少女でしかない。
作品の話を少し挟む。この本は旅モノであるのだが、そもそも(解説でも触れられているとおり)旅の目的というものがたいへん希薄である。つまり、テーマが漠然としていて物語性に乏しい(一応書いておくとこれは決して批判ではなくて、上に挙げたようなものはあらゆる作品において必須でない。ちょうど桜餅に付いてくる塩漬けの葉っぱみたいなもんである。食べることも出来るし、それがないと始まらないと喚く輩もいるが、いらなければ無理して消費するものでもないと)。そしてその代わり、キャラクター性が著しく強調されている。
特に素晴らしかったのはやはり僕僕先生の案配であった。主人公の王弁は仙縁こそ持つものの只の人に過ぎない。しかし我らと我らが王弁の愛すべき僕僕先生は仙人なのである。決して凡人の手の届くものではない。しかし先に述べたような先生の俗っぽさや人間(界)への愛情、寛容さといった面を引き立てることで彼我の距離は縮まり、ここに希望を見る。
或いは逆に言うことも出来るだろう。僕僕先生はたいへんかわいいし、俗で、時として幼くすらある。ともすれば仙人であることなど忘れて王弁とも必要以上にべたべたしかねない。そこへ彼女の奇跡や神性を持ち込むことにより彼我の距離は適度に保たれ、ここにもどかしさを覚える。
ここが仁木英之の絶妙なところだ。押し引き、加減とでも言うべきだろうか。解説や広告においては文章力や表現法、豊かな発想などが取りだたされているようだがそういったものは寧ろ並。決して粗末とは言わないが、特別に評価したいとも思わない。ただとにかく駒の動かし方が巧いのである。僕僕先生という強力な存在に引っ張られることなく、終始手綱を握り続けた点はすばらしい。あとは続編において劣化していないことだけを、祈る。